オラクルカード・セルフリーディング日記

毎日オラクルカードやタロットカードを引いてセルフリーディングをし続ける日記。

トートタロットを迎えてから明日で10ヶ月(ウェイトタロットとの違いなど)

トートタロットを迎えてから、明日で10ヶ月になる。


この間に何があったかというと、なんと私はいっぱしのタロット占い師になっていた。たった10ヶ月でお金をとれるレベルの技術を手に入れていたのである。
トートタロットが私を選んだのではないか?と思ってしまうほどの飛躍である。

 

初めてトートタロットを触った日、「なぜ私の元に来たか?」ということを彼(トートタロット)に聞いたことがある。

この記事である。

 

ikuse-ryo.hateblo.jp

 

来た理由として

  • 自分の才能や本質、可能性を隠しているから
  • その才能の花が枯れる前に存在していることを知らせにきた
  • 才能や本質を隠したままでは枯れていってしまうから
  • 今まで本当に欲しいものが手に入っていない状態だったから

などの結果が出ていて、大変感慨深い。

 

トートタロットのイメージを振り返る

さて、今の私のトートタロットのイメージは「深い」である。

 

開封当時は初めてのタロットデッキだったこともあり、彼(トートタロット)を「客観的」だと評していた。

しかし、今はむしろ「主観的に見た心の状態」「潜在意識」を見るのがかなり得意なカードなのではないかと思っている。

単純な客観性なら、ウェイトタロットの方が優れていると感じる。

 

分かりやすい例として、「何かモノを欲しがる気持ち」をトートタロットは「愛」と呼び、ウェイトタロットは「所有欲」と呼ぶ。

客観的に見るなら「所有欲」で間違いない。しかし、たった今欲しがっている人にとって、それは紛れもなくモノへの「愛情」である。

 

トートタロットは、そういう深い心情を見ているカードだ。

 

トートタロットが今伝えたいメッセージ

10ヶ月ぶりに、トートタロットに「今私に伝えたいメッセージ」を聞いてみた。

こういうチャネリング的な使い方をするのは久々である。彼(トートタロット)は何を言うのか?

 

結果、補足カードを引くまでもなく2枚同時に飛び出してきた。

 

ワンドの10(Oppression)

  • 来るところまできた理想や情熱
  • 抑圧や弾圧を行うような思想・政治状況のある国のような雰囲気
  • 飛び回りたい・もっと世界を広げたいという楽観的な気持ちを制限して押さえつけていないか?
  • 己の理想や情熱が、逆に行動を縛る原因になっていないか注意する
  • 情熱や熱狂が少し行き過ぎているので弱めるべきである

  • 夜明け前が一番暗い
  • 死と復活の門を今くぐる時
  • まだ日の目を見ていないこと、隠れて出てきていないものがあるのではないか?
  • たとえ前が見えなくても、とにかく進んで行くことが大事である
  • 暗くてもここは終着点ではない。まだこれからである
  • 何か、心に嘘をついていないか?幻想に囚われていることはないか?
  • それは真実ではなく、「まるでそういう風に見えているだけ」である

 

感想としては「たった2枚でここまで深く心を抉ってくるか」という感じである。いっそ爽快である。

タロットはワンオラクルが実は一番深いという話も聞いたが、本当にそうである。

 

確かに、今は占いや仕事に対し、理想や情熱を燃やしている。ただ、その熱意が過剰であり、他の活動を自粛する原因になっているのも事実だ。

金銭面のやりくりや、仕事の方式についても、不満が無いわけではない。活動としても、出し惜しみしていることもある。

幻想に囚われている、という点も確かにそうである。

 

ウェイトタロットが今伝えたいメッセージ(比較用)

比較としてウェイトタロットにも「今私に伝えたいメッセージ」を聞いてみた。

思えば、ウェイトタロットにはこういう聞き方をしたことがないかもしれない。トートタロット以上に「道具」というイメージが強いせいだろう。

 

結果、シャッフル中に2枚飛び出て、カット中に1枚飛び出た。

 

ペンタクルのペイジ

  • 学生。今は「学ぶ人」の状態
  • 現実を見て学ぶ。お金のことを学ぶ
  • 背景が黄色。前途は明るいように思える

ソードのエース

  • 「過去のデータや知識を基にスタートを切る」ということについて注目
  • どこか物質的で厳しい雰囲気でもある。険しい山々が背景にある

ペンタクルの8

  • こつこつとした作業
  • 情熱と精神性の両方を持ち、少しずつ進める
  • ぼろぼろになっては意味がないが、今はそんな状況なのも事実だ
  • 今は貧しいかもしれないが、継続は力なりである

 

感覚として、ウェイトタロットはスクライング的なことがしにくい。つまり、想像が湧きにくい。

湧くにしても、絵をしっかり観察してそこから連想するか、直感ではなく知識や図像学を使って読むイメージである。

トートタロットには何らかの気配のようなものを感じるが、ウェイトタロットはシンプルな絵柄のせいか、単純に「絵の描かれたカード」のイメージが強い。

 

この気付きこそ、ソードのエースで示された「知識からの始まり」なのかもしれない。ウェイトタロットを読むとき、その状態に陥りやすいことを認識せよということかもしれない。

学習について、具体的にどうしたらいいか?ということに関しては、ペンタクルの8がアドバイスしているように思える。急がず、少しずつ、継続することが学びには大事だ。

恐らく、表現が違うだけでトートと同じことを言っているのだろうと思うところも、ちらほらある。

 

総括としては、ウェイトタロットは「何か言いたい」というより、単純に今の私の状態を鏡のように映して見せているのだろうという気がする。

 

トートタロットとウェイトタロットの違いの雑感

正直、言葉やイメージはトートタロットの方が湧きやすい。

対して、ウェイトタロットはシンプルで客観的だ。トートタロットのミクロさとは違う分かりやすさがある。冷静になりたいときに使うと発見がある。

 

トートタロットとウェイトタロットを平等に使っている人は少ないと聞いた。いつか私も、どちらかに固定化する可能性もあるだろうか。

そうなった場合、恐らく私はトートタロットをとるのだろうと感じる。今はまだ、わからないことも多いが、恐らくは。